「天は悪い人に必ず罰を与える」刑事の言葉が支えに
2012.2.20 22:51 (1/4ページ)[光市母子殺害事件]
――(犯罪被害者のための)活動は今後も続けていくのか。今後の人生はどう生きていくのか
「事件から9年すぎたとき、犯罪被害者に関する講演活動などを一切やめた。仕事に傾注するようになった。今も犯罪被害者の環境のすべてが改善されていないが、自分の才能、気力、体力がないので、まずは自分の生活を見つめ、立て直すことを一生懸命やりたい」
――13年間を支えたものは何か
「たくさんの方に支えていただき、これ一つということはとても言えないが、ずっと私を支えてきた言葉がある。事件発生当初から私の取り調べをして、その後も支えてくれた刑事さんが言ってくれた言葉で『天網恢恢(てんもうかいかい)、疎にして漏らさず』。『いくら裁判で君の望む判決がでなくても、天はきちっと見ていて、悪い人をその網からもらさず、必ず罰をあてる』という言葉を与えてくれた。その言葉を胸に抱いて、これまできた」
「今日も最後、裁判が終わったとき、あの言葉は本当だったなと改めて思った。その刑事さんだけでなく、多くの人に支えられた。また多くの人に迷惑をかけた。感謝の念を忘れずに、生きていきたい」
――死刑の確定に進んでいくが、人生を立て直すきっかけになるのか
「裁判が終わっても、ずっと事件のことは考えていくと思っている。死刑判決が下ったからといっても、ふとした瞬間に思い出して、考えながら生きていく。多くの犯罪被害者の遺族は(犯人の判決が)無期懲役、懲役が当たり前で、気づけば犯人が社会復帰していることに比べれば、穏やかな生活ができる。その点は感謝している」
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会見する本村洋さん=20日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ(古厩正樹撮影)
――日本では量刑で「若さ」が要素になっている。司法や立法への要望は
「とても難しい問題。肉体的な年齢で線を引いて『ここからは死刑』と決めていいものなのかは、とても悩むところ。被告が拘置所から出した手紙で『自分は18歳と少しだから死刑にならない』とか(書かれていた)。そういった打算をして犯行に及んだら、年齢で線を引くことは悪い例になるかもしれない」
「ただ今回の事件については年齢よりも、反省の情(があるか)を13年間、裁判所は見てきた。反省して社会復帰できると裁判官が認めれば、死刑は回避できたはず。年齢だけではなく、情状面をしっかり見ることが大事だと思う」
――以前「もし自分が殺された立場だったら残された家族には事件にとらわれて生きてほしくない」と話していた。差し戻し控訴審から、生活の中で変わったことはあるか
「自分の生活の立て直しに懸命になっている。事件のことを考えずに生きるのは無理だが、しっかりと家庭を持って維持して、社会に資する人間になろうと思い、これからがんばっていきたい」
――判決が少年事件にどのような影響を与えると思うか
「日本はずっと判例主義で判決が決まってきた。今回の判例は18歳の少年が2人を殺害したら死刑になるという実績をつくったことになる。この事件以降、少年への厳罰化がもし進むのであれば、それは私がマスコミの前で発言してきたことの影響が多々あると思うので、私自身も責任を感じなければいけない」
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会見する本村洋さん=20日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ(古厩正樹撮影)
「ただ裁判の判決は私が出したものではなく、社会の情勢、世論をしっかりと裁判所が見つめ、いまこの時点での価値規範を社会に示したものだと思っている。今回の事件を受け、刑が厳しくならない方向に行くかもしれないし、厳しくなる方向に行くかもしれない。それは分からないと思う」
「常に法は未完であり、完璧な判決はないと思っている。諸行無常の中で、世論の動きを敏感に感じて、そのときの価値観に合ったもの(判決)を出していくことがあっていいと思う」
――事件から13年で、娘さんがもしも生きておられたなら中学生になっている。日々の生活の中でそういったことを感じることはあるか
「事件当初はそういった気持ちを持つことがたくさんあったが、今はそういうことはない。まして自分の子供が13歳になっていたなんて、そういうことすら考えなくて、いつまでたっても妻は23歳、娘は11カ月のままですから、そういった気持ちにはならない」
「ただ自分が生きていく中で、時々、厭世(えんせい)的な気持ちになったり、仕事のやる気をなくしたりすることは今でもある。そういったときは周りの人に支えてもらい、生かしてもらっている」
――以前、「判決は被告だけのものではない」と言っていた。その気持ちに変わりはないか
「その気持ちに変わりはない。判決は被告のものだけでなく、被害者遺族、何よりも社会に対して裁判所が言っていること。少年であっても身勝手な理由で人を殺害したら死刑を科すという強い価値規範を社会に示したことを社会全体で受け止めてもらいたい。私も極刑を求めてきたものとして厳粛に受け止める」
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会見する本村洋さん=20日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ(古厩正樹撮影)
――命日はどうされるか
「命日はいつもお墓参りをしている。毎年と変わらず、お墓に行って、手を合わせたい。私が生きている限り、命日には墓前に足を運びたい」
――どのような方々が支えてくれたのか
「会社の上司だったり、部下だったり。あとは一生懸命、仕事をしている人の姿を見ると、自分もがんばらないといけないと思う。最近では大震災があって、がれきのなかで一生懸命、復興しようとされている人の姿を見ると、自分もがんばらないといけないと思う」
――事件の現場となったアパートは老朽化しており、ずっとそのまま置いておくというのは難しいという話があるが、現場はどうあってほしいと思うか
「私の持ち物ではないので、時代とともにアパートがなくなることは仕方ない。今でもときどき、私は気持ちが萎えたとき、元気がなくなったとき、夜中にこっそり行って手を合わせることがある。そういった場がなくなるのは悲しいが、時代の流れだと思う。形あるものはいつかなくなる。それは受け入れるしかない」